「ピースリング・オブ・グアム」は1998年、南太平洋戦争戦没慰霊塔の清掃と供養をする事から始まりました。毎年年2回の定例清掃会を行い、2005年11月に法人としてグアム政府から認可を受けました。

スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 |
特集 大切な人が眠る島・グアム -3-
2009-07-28 Tue 10:59
にほんブログ村 海外生活ブログ グアム情報へ

 
My Favorite Journey Special Version

大切な人が目塗る島・グアム

これは、グアム島で戦死した日本兵遺族の、
初めての慰霊碑建立に同行した取材記録である。

平和慰霊記念公園内にある、南太平洋戦没者の慰霊塔。高さは15メートルほどで、合掌の形をしている

平和慰霊記念公園内にある、南太平洋戦没者の慰霊塔。高さは15メートルほどで、合掌の形をしている

団体の代表でもある、松本平太郎さんも、今回グアム島に来ることが叶わなかった日本の遺族から、多くの手紙やお供物を預かってきていた。遺族も高齢となっているため、慰霊に来たくとも、来られないというのが現状だと彼は語った。

 彼の叔父は、太平洋戦争中にグアム島で戦死した。最初満州に渡った叔父は戦時中、実に一〇〇通もの手紙を自宅へよこしたという。叔父と過ごした記憶は少なかった。しかし、戦後に手紙を読み直し、彼がどんな場所で命を落としたのかと思い、グアム島を訪れた。それ以降、慰霊活動を始めるようになったという。

 

平和慰霊記念公園に展示されている、日本兵が使用していたものとみられる遺品。司令部跡地で見つかった

平和慰霊記念公園に展示されている、日本兵が使用していたものとみられる遺品。司令部跡地で見つかった


 ご自身もとうに還暦を過ぎた年代だが、来たくとも来られなかった日本の遺族の方と、預かり物をグアム島へ持っていく約束をしたという平太郎さんは、何か強い使命感を持っているようにも見えた。

 

爆弾の破片。アリファン山散策中に発見したもの。今もグアム島には回収されぬままの当時の遺物が、多く眠っている

爆弾の破片。アリファン山散策中に発見したもの。

今もグアム島には回収されぬままの当時の遺物が、多く眠っている


二日目に、島の北部ジーゴにある、ジーゴ平和慰霊記念公園へ慰霊清掃に向かった。

 一九四四年八月十一日、日本軍の司令部が、その場所で玉砕する最後まで、戦い続けた場所である。現在は、合掌をかたどった高さ十五メートルほどの、大きくて白い慰霊碑が建っている。


清掃活動の様子。年2回ほど定期的な活動を行っている 

清掃活動の様子。年2回ほど定期的な活動を行っている


 その慰霊碑の建つ丘の下へ降りていくと、竹や木々で覆われた中にあり、あまり目立たない日本軍司令部跡が残っている。慰霊地の整備や管理が、比較的整っている日本では考えにくいことだが、グアム島での慰霊地の管理は、まだまだ整っていない。放っておくとすぐにジャングルの状態になるので、定期的に団体は清掃活動を行っている。・・・次回に続く。

 

 

Photos & Text by
中央評論第264号(中央大学出版部)
中央大学総合政策学部4年
國吉美香

にほんブログ村 海外生活ブログ グアム情報へ
にほんブログ村 歴史ブログへ
オセアニア在住の日本人によるブログ

関連記事
別窓 | 大切な人が眠る島 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<慰霊塔の清掃と慰霊のご案内 | 平和の輪をつなごう「ピースリング・オブ・グアム」 | 特集 大切な人が眠る島・グアム -2->>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら


| 平和の輪をつなごう「ピースリング・オブ・グアム」 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。