「ピースリング・オブ・グアム」は1998年、南太平洋戦争戦没慰霊塔の清掃と供養をする事から始まりました。毎年年2回の定例清掃会を行い、2005年11月に法人としてグアム政府から認可を受けました。

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特集 大切な人が眠る島・グアム -5-
2009-08-20 Thu 20:37
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My Favorite Journey Special Version

大切な人が目塗る島・グアム

これは、グアム島で戦死した日本兵遺族の、
初めての慰霊碑建立に同行した取材記録である。


中央にあるコンクリートで固められたものがトーチか。グアムの海岸沿いには今も多くのトーチかが残っているが、形を留めていないものなどもある

央にあるコンクリートで固められたものがトーチカ。

グアムの海岸沿いには今も多くのトーチかが残っているが

形を留めていないものなどもある 。

 

 三日目に、慰霊碑の除幕式が行われた。

 場所は、米軍が上陸地点とした激戦区の一つであるアガットだ。民間で慰霊碑を建立するということも、戦中日本兵からも虐殺を受けた地元人のチャモロ人が、協力し提供してくれた土地に慰霊碑を建立することも、今回初めてのことだった。

 

祭事の言葉を述べる内藤寿美子さん。慰霊碑が建立された付近を、内藤さんの父の部隊が守備していた
祭事の言葉を述べる内藤寿美子さん。
慰霊碑が建立された付近を、内藤さんの父の部隊が守備していた 。


参加者の一人、内藤寿美子さんは、太平洋戦争中に父を亡くしている。当初の通知では、戦死した場所は南西諸島方面としか情報がなく、どこで自分の父親が亡くなったのかもわからなかったという。

 

日本軍司令部跡地に残る、日本軍飲料水跡。この近くに、野戦病院もあったといわれている 

日本軍司令部跡地に残る、日本軍飲料水跡。

この近くに、野戦病院もあったといわれている


 戦後、一体自分の父はどこで命を落としたのかを知るため、厚生省や戦友会から聞きまわり、ようやくグアム島で亡くなっていたことを知る。その後、幾度となくグアム島を訪れ、慰霊活動にも積極的に参加してきた。普段はとても快活な方で、常に振りまく笑顔がとても印象的だった。

 その彼女が、除幕式で、祭事の言葉の追伸として、父への手紙を、涙混じりに述べていた。

 

日本軍司令部跡地の壕の前で。日本から持ってきたお供物が捧げられた

  日本軍司令部跡地の壕の前で

日本から持ってきたお供物が捧げられた。

 

「追伸 お父様、寿美子は頑張って参りました。戦後間も無く、母も亡くなり五人の兄達と、私は力をあわせて懸命に生きてまいりました。父上がグアム島で戦死と知り、守備陣地のアガット湾を探索していたところ、父上の隊が刻まれたトーチカを発見しました。この度、その御前に慰霊の碑建立のお手伝いをさせて頂きました。どうぞ寿美子を褒めて下さい。そしていつまでも、見守っていて下さい。元気なうちは何度でも逢いに来ます。安らかに……」

・・・次回に続く。

 


Photos & Text by
中央評論第264号(中央大学出版部)
中央大学総合政策学部4年
國吉美香

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